Re:主観的なゲームと客観的なゲーム

前回のエントリ(id:IDA-10:20060504)に対するみやおかさん(id:miyaoka)のコメントを読んで、自分の認識が修正されました。ゲームという成果物に対して何かを定義するのが、そもそもずれてたことがわかった感じです。以下、コメント引用します。

miyaoka

『うーん主観と客観という概念は難しいなあ。特に客観のほう。主観の反対ってのは分かるんだけどそれをして客観という理解が難しい感じ。いろいろ考えてしまいました。

英語感のほうには馴染みが無いので調べたのですが、objective, subjectiveの語源を紐解けば「前面に」投げかけるか、「(自己の)下に」投げかけるか(http://www.alc.co.jp/eng/vocab/etm-cl/etm_cl090.html)という意味の違いを把握しやすいのかなと思いました。

あとobjectiveという言葉がゲームの要素として「目標」を示すあたりに、客観とは目標のあるゲーム、主観とは(コスティキャン的な)目標の無い(ウィル・ライトがおもちゃと言うような)ゲームという感じになってくるのかな。

けどウィル・ライトがおもちゃといいつつも、下手なゲームよりはよっぽど目標を設けているあたりが用心しないとなあとはいつも思うところで、シムシティだってメガロポリス目指しちゃうのは随分とゲームっぽい。というか、もしかしたらそういう遊び方が日本人特有なのかもしれないけど。

おもちゃだ=目標が無い、というよりは目標が存在していても良くて、その目標が可変・再設定可能であるというほうが正確? とすれば、主観と客観とは対立するものでも無いのかな。』

一応、自分ではなくて他人が設定した目標を達成するゲームという意味で、【客観=主観から独立して存在する外界の事物。客体。かっかん。主観。】*1あたりから言葉を引っ張ってきたんだけど、たしかに目標に対して「主観」と「客観」という言葉は自分でもピンときてなかったんだよねー。

これは、日常使う意味から来るノイズが多いだけじゃなくて、みやおかさんが指摘しているとおり、古典的なゲームも、自分で目標を立てて遊ぶことは可能だし、シムシティも作者から目標らしきものは与えられているせいだと思う。ユーザーが操作する以上、すべてのゲームは主観的に遊べるわけだし。

どうぶつの森も、一応ゲームデザインとしては借金の返済という目標は与えられているけど、最終的な目標にしてる人はあんまいなそうだよね。

というわけで、まずはメタのレイヤで、「プレイヤそれぞれが、好きなように目標を設定する(何もしないこともあり得る)ように意図されたデザイン」と、「設定された目標をクリアするように意図されたデザイン」の2タイプが存在して、それらが混ざったものがゲームだと認識することにしました。その混ざり具合で、結果的に玩具的と感じるか、ゲームらしいと感じるか変わってくるのでしょう。

最初に戻りますけど、そこの閾値はそれこそ個人個人変わってくるので、ゲームを指して客観的に、「主観的」「客観的」とラベリングするのは難しいなあと。ウィル・ライトが「シムシティ」を玩具的と呼んだのは、彼がそう思ってデザインしたからで、そう感じない人もきっといると思うし。

ゲームの中で有利にならないものは屑同然という旧世代の価値観を持つ俺にとっては、どうぶつの森はゆるーい「借金返済ゲー」だけど、他の人々にとっては違うだろうし。

……で、結局どんな言葉を当てはめればWiiのだろうか!