攻略法がなくても良いゲーム

id:hiratsukam さんのコメントにウキウキと答えてたら長くなったので、エントリ化しました。


hiratsukam 『どもー。すっごいわかりやすい解説に感動しました・・・。

>自分の原人語を認識しなかったのは、本当はバグのせいかもしれない。

>ノイズのせいかもしれない。でも、「あ、今の原人語、

>発音イマイチだった?」と自分のせいかのように錯覚してしまう。

>そこがうまい。

それでもボクはこの曖昧さが苦手で、

「何が明確な原因かわかりにくい」→「上達の方法がわかりにくい」

という構造になってしまうと、もうお手上げです。

上達というのは、慣れではなくコツを見つけることだったりしますものね。

じわじわ上手くなるんじゃなく、一気に上手くなる。

ああ、やっぱ頭が堅いんだろうなあ。』 (2007/02/02 09:31)


おお、社長!!ご無沙汰です!丁寧なコメント感謝です。


>それでもボクはこの曖昧さが苦手で、

>「何が明確な原因かわかりにくい」→「上達の方法がわかりにくい」

>という構造になってしまうと、もうお手上げです。


たしかに僕らが学んだ単語でいうところの「mission oriented」な遊び、つまり古典的なゲームについては同感です。僕もゲームの基本は「アナログ→デジタル」だという頭がどうしてもあって、その場合、遊びについての明確な基準、ルールがどうしても欲しいところですよね。

ただ、「curiosity driven」なゲームというか、『シーマン』のような遊びの場合は、必ずしも明確な攻略法や上達法がなくても良いと思っています。なぜならば、課題や解法みたいのが厳格に存在してしまうと、せっかく用意した世界観やお楽しみが、ユーザーにとって、ただの答え探しになってしまう可能性が高くなるからです(もちろん、制作者に意図によりますが)。

もちろん、遊び手のcuriosityを満足させるだけの世界や仕組みを用意するのは、並大抵のことではないうえに、そこにわずかでもゲームならではの拙さや不具合があると、一気に醒めてしまい、遊びでもなんでもなくなってしまうわけで。

えーと、そこで、前エントリの『シーマン2』ですが、誤認識という宿命を負いながらも、やみくもに否定したり、マッチョに克服したりするのではなく、北京原人が「ただのプログラム」であるということを意識させないやわらかい工夫ががっちょり盛り込まれてるところが、僕はすごい偉いと思うわけです。いや、まだ遊んでないんですが、前作『シーマン』の仕事っぷりをみるに、きっとそう。

ブックマークコメントで、id:dotimpact さんが短くまとめてくだっているように、「人よりコンピュータが有利なようにルールを設計すること。それをそう感じないように隠蔽すること。」と言い換えても良いと思います。

余談ですが、Mission orientedなゲームの操作に音声認識を使う場合、「誤認識=誤操作」となってしまうわけで、そのへんが厳しい。同社の「大玉」は、「押せ押せ!」とマイクに叫ぶことで兵士たちががんばるみたいな操作があるんですが、僕の発音が悪いせいか、ときどき認識してくれなかったんです。そうすると、一気に自分が恥ずかしくなってしまってゲームを思い切り楽しめないだけでなく、そもそもゲームとして成立しなくなってしまうわけで、これはプレイしていてかなりのストレスになってしまいます。

ただし、ちょっとフォローすると、『シーマン』を開発してきた方々が誤認識を気にしていないわけもなく、「押せ押せ」と2回言わせるのも誤認識対策だと推測してます。しかしながら、マイクがすべての音を拾う以上、誤認識は切っても切れない関係な上に、上の場合、俺はちゃんと言ったつもりでも、周りの人にしたら「もすもす…」と聞こえてたらしくて、客観的には正しいんだけど、主観的には誤認識っていうパターンもあるわけで、本当に難しいと思います。