マリオジャンプの美しさ

先日はるばるアメリカまで遊びに来てくれた宮岡さんが、スーパーマリオのジャンプを解析していた。マリオのジャンプを1フレームごとに画面キャプチャして、座標を元にジャンプの計算式を求めようという試み。

  • 上りは放物線だけど、下りは最高落下速度にリミットをかけて等速降下になってるっぽい。
  • つまりプレイしてて「あ、やばい届かなそう」と感じても、意外と伸びがある感触。
  • にもかかわらず山が後半に来ていて落下が強い。というか、上りの方に押下フレームに応じてブーストかけることで上りがゆるやかになってる感じ?

もちろん、ジャンプの解析を試みる姿勢が素晴らしいのは間違いないのだけど、僕がもうひとつしびれたのは、マリオジャンプの連続キャプチャの画の美しさ。何千回と繰り返したあのジャンプが画面キャプチャによって揺ぎなく静止画に投影されている感動というか、ロマンというか、そのあたりに心を打たれた。

なんだか、じっとしていられなくなって。

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Tシャツにしてみたっちゃダーリン!

みやおかさんと妻の(しげるも?)了解を得れたら息子に着せるかな。

それから、はてなのほうのゲームについての会話メモについては、僕のほうでも絶賛書きとめ中です。もう少しまとまったらアップします。

  • 面白いと言うこと。
  • それが面白いと認知されていない(と思っている)から、自分で声を出して「これは面白いですよ」と言う。
  • ワリオの森』と『パネポン』はかつてどちらも隠れた名作だったと思うけれど、パネポンは「隠れた名作」という看板を掲げながらいつの間にかメジャーの位置に居る。どっちも面白いけど、どちらに対して面白いと言うかとなるとワリオの森になってしまう。マイナーゲームだから面白いと体感するというよりは、マイナーだから面白いと言いたくなる、言う必要がある、言うことによる満足度が高い。
  • 面白いと体感するものと、面白いと言うものの違い。
  • 他人に伝わるのは「面白い」と言っているものだけで、面白いと体感しているだけのものは実は伝わってない。
  • 面白いことの体感は、対外性を問わない。公平だ。物言わず深慮しよう。

とくに沁みてるのはこのあたり。あー、もっと話したかったですね!