あるゲームプログラマの送別会

まだ日本にいた頃、当時プロジェクトで一緒に仕事をしたX君という人物がいる。彼は新卒で入社して1年とちょっとが過ぎたくらいのプログラマで、僕がタッグを組んだのは、プロジェクトの途中から、しかもたったの半年ほどだったが、誰に言われずとも黙ってユーザービリティを向上してくれるサービス精神と、独断でバグ満載しかもメモリをバカ食いする超ド派手な演出をしれっと入れてみせる若者らしいムチャを兼ね備えた貴重な戦力だった。リードプログラマがひとしきり彼の暴走をいさめた後、あごに手をあて「待てよ……、あれをこうしてこうしたら……。んー、イケるな……。」と独りごちるのを何度も見たものだ。

そんな彼が会社を辞めるという。

当時、会社は激動の時期で社内のチーム合併を繰り返していた。そんな会社に不安を覚える者、新しいチームになじめない者。僕が入社してから辞めていった人数の、倍以上の人々がたった数ヶ月のうちに去っていった。残る者からすれば彼もそのうちの一人で、彼のための送別会はすっかり金曜日の定例行事のようになってしまったうちの一つであり、ましてやまだ若く会社にそれほどなじみのない人物へのそれは、こじんまりと彼の同期数名と僕だけで開かれることになっていた。僕は同期ではないが、プロジェクト中はタッグでゲームを作っていたこともあり、X君からの指名を受けて会に参加することになっていた。ちょうどその一月ほど前に、アメリカへの転勤が決まった僕は、業務の引き継ぎに追われていて、若干遅れて会場に到着した。

夜の9時頃、ようやく資料の作成を終えて、会社からほど近い居酒屋のチェーン店ののれんをくぐる。

「YYY死ね!」

「ZZZ辞めろ!」

なにやら大荒れだった。それほど時間は経っていないはずなのに。別にX君が暴れているわけではなくて、同期たちが騒いでいるようだった。テーブルにはメニューの端から端までの日本酒が並べられ、それぞれがほぼ空になっていた。仕事にある程度もまれて、たまりにたまった2年目のグチはとめどもなく、酒をもとめてテーブルを転げまわる彼ら。そんな若者のモッシュに耐えながら、「X君彼女いんの?」とか「ぶっちゃけあっちのチームから、こっちのチームに来てどうだった?」とか会社では聞けなかった話をしていた。

「日本酒メニュー、もう1周いこー!!」

「こらー、W!吐くなー!!」

「うははー、2周目の撃ち返し弾だー!!」

などとゲーム会社臭い大声に、正直ちょっとヤバいかなと感じていた。会社がすぐ近くにあるから身元はとっくに割れてるだろうし、入店禁止くらいならともかく、会社に通報がいくといろいろ面倒だ。2年目の良心、女子のVさんも心配して、「もう飲ませないほうがいいかしら…」と顔を曇らせた。それでも、僕は酒を止めなかった。モッシュも止めなかった。X君は今日で最後だ。入社した瞬間からクランチで、文字どおり休む間もなく働き続けた彼らに、こんな居酒屋の大騒ぎでもいいから思い出を作ってあげたかった。

トイレにいくフリをして回りのテーブルに、「今日、同僚が最後なんです。うるさいですけどカンベンしてください。」と謝ってまわった。みんな了解してくれた。店長さんに至っては、「仲間が辞めるのって切ないですよね。わかります!僕の世代も同僚がどんどん辞めていきますけど、そのたび大騒ぎですから!」と笑ってジョッキをサービスしてくれた。そのあともX君のグチをひたすら聞き、その合間にも、同期たちはモッシュを繰り返し、携帯で撮った写真をマシンガンで蜂の巣にするアプリで上司を皆殺しにし、みんな笑顔でX君を交えた最後のバカを楽しんだ。僕は彼が辞めるのは悲しいが、みんなの心に、X君との楽しい記憶がひとつでも多く残ってくれている。そんな気持ちだった。

そんな不思議な感慨に満ちた時間も、終電が来てお開きとなった。社員寮住まいのUがフラフラと徒歩で帰っていった。酔いつぶれたTにはタクシーを呼んで、家が近いSを付き添いに先払いで送ってやった。X君は、途中まで僕と電車が同じだった。プロジェクト中もよくこの時間に一緒に帰ったものだった。二人で最後の馬鹿話をしていると、X君が降りる駅のちょっと前で、いつになく神妙な顔で「聞いてくれますか?」と話し始めた。

「本当にIDA-10さんと仕事ができて、うれしかったです。会社入ってからずっところころチーム変えられて、友達から別の会社に誘われてて、辞めよう辞めようと思ってましたけど、IDA-10さんとゲームつくるのはマジ楽しかったです。正直、辞めるって決められなかったけど、でも、IDA-10さんアメリカ行っちゃうって聞いたら、IDA-10さんいないんだって思ったら、もうこの会社いても意味ないですから。」

そう一息で話すとX君はぼろぼろと泣き出した。

「ごめんなさい、泣くつもり全然ないんですけど。阪神が優勝した時だって泣かなかったんですけど。」

僕はなんて言って良いのか迷ったけど、肩を叩いて、

アメリカにお前がいなくて寂しいよ」

とだけ声をかけた。電車が駅に到着し、扉が開いた。 X君は、人の波に逆らいながら、入社後の研修でも見せたことがないような、腰を90度に折った姿勢で、

「IDA-10さん、本当にありがとうございました!」

と深い礼をした。扉が閉まり、電車がホームを離れても、X君は顔を上げなかった。ずっとそうしていた。

週があけて月曜日。あの会の参加者たちが次々と僕の机に訪れた。

「IDA-10さん……、すんません、俺、金払いましたっけ?」

「いや、俺が払ったからいいって……」

「いやー、俺、ぜんぜん覚えてないんですよねー。」

「あ、IDA-10さん、あの、飲み会ってどうなったんでしょうか?」

「どうなったもこうなったも、お前最後までいたじゃねーかよ!」

「ボク、なんか、途中からまったく記憶がないんです」

「ないんです、じゃねえよ!店長と一緒にお前の粗相を片付けたっつーの!」

完全に失敗だった。思い出を残すつもりで酒を止めなかったのに、どいつもこいつも記憶を失いやがって。くそー、店長とアイコンタクトしながら全額奢ってる場合じゃなかったぜ。そんな後悔の中、先週付けで会社を辞めた当のX君から携帯メールが届いた。

「IDA-10さん、先日は僕のために送別会に来てくださってありがとうございました。ところで、僕、途中から記憶がまったくないのですが…」