東京ゲームショウで会ったコンパニオンと自分のこと

初めて彼女と会ったのは関係者用の休憩室だった。コーヒーを飲みながら誰かが置いていったファミ通を読んで時間をつぶしていたら、目の前にどっかと彼女がすわった。たばこに火をつけて、ふーっと煙を吐くとおもむろにこちらを向き、

「アイツらまじキモいでしょ?キモすぎでしょ?」

と話しかけられた。そこで初めて、彼女が同じブースで大量のアマチュアカメラマンに囲まれていた女性だと気づいた。笑顔でモデル立ちではなく、眉間にしわを寄せて足を高く組んで座り、たばこを呑む姿は、別人にしか見えなかった。

「えーと、アイツらってカメラの人たちですか?」

「全部、全員。必死にゲームやったりとか、まじキモい。あと臭い。」

「なるほどー(どうしよう……)」

彼女はふと僕の手にあるファミ通に目をとめた。

「それもキモいの?」

僕にはなかった発想だが、なるほど確かに彼女からみれば、気持ち悪いのかもしれない。

「いや、そんなでもないです。」

ふうん、と興味を失ったように携帯電話をいじり出す。

「お仕事大変ですねー。」

「キモいだけ。別に。」

「なるほどー(どうしよう……)」

「困ったときはとりあえず自分に正直に」が僕の人生攻略法なので、

「や、でも自分の作ったゲームをすごく楽しみにしてくれるって嬉しいですよ。お姉さんも、綺麗だなーって写真撮ってもらうのって嬉しくないですか?」

「別に。辞めるし。キモいから。」

「え、辞めちゃうんですか?」

「先輩面して嫌がらせしてくる女がちょうウザいし、23のババアのくせに。寄ってくる男もキモいし。すぐ別の女に行くくせに。あ、あたし行くから。」

一方的に言葉を紡ぐと、ドアに向かって歩きはじめた。ノブに手をかける瞬間、彼女は目を伏せて、ふっと息を吐き、それからちょっとびっくりしたような表情でパチっと見開いた。眉間のしわがなくなり、それだけで別人のようだった。口元にほほえみをのせた。まるで死人が生き返ったみたいだった。

残された僕は、あまりにも世界が、常識が違う人間を前に、しばらく呆然としていた。せっかく集まってくれた自分のファンをキモい呼ばわりも許せなかったし、23ってお前とたいして変わらんのにババアとか何いってんだとか、本当に理解ができなかった。同時に、まったく関係ない人間にもかかわらず、彼女の今後を想像して暗澹たる気持になった。今を否定して、ファンを否定して、辞めるって、なんだよ。そんなんじゃ、何にも変わんないだろ。

でも、ふと、僕も、似たようなもんじゃないかと思った。いや、話をしながら気づいていたのかもしれない。赤の他人の言葉が気になったのはそのせいだ。掲示板やファンサイトで自分たちの作ったゲームの評判を見て回り、酷評を見つけては、こいつら何にもわかってないのに文句ばっかりいいやがってと憤り、性能は上がっても続編と2匹目のドジョウばかり作らされるこんな業界じゃ、家庭用ゲームの未来はないと暗くなり、なんだ、辞めてないだけで、彼女と同じじゃないか。むしろ、キモいから辞めるってほうが、よほど清々しいんじゃないか。

でも僕は、その後もゲーム制作を辞めなかった。辞めようかとも思った。でも、ビデオゲームで育った僕が、ビデオゲームを作ることを辞めて行くところなんてどこにもないと気づいてしまった。追い立てられるままにヒット作の二作目、三作目をつくり、開発費の高騰で行き詰まりかけたゲーム業界に居続けた。予算を理由に会心のアイデアがお蔵入りになる度に、続編による制作ラインの占拠で新規企画がボツになる度に、彼女のことを思い出した。彼女はキモかったところを辞めて、成功したんだろうか。もうキモくないのだろうか。


彼女との再会は3年後に突然やってきた。場所は同じく東京ゲームショウ。ただし、今度は休憩室ではなく、とある大手メーカーのイベントステージ。砲列のように並ぶ無数のカメラの向けられる先、マイクを握る女性に見覚えがあった。

間違いない、彼女だ。

人気ゲームのイベントの司会として、ステージの進行を堂々と仕切る彼女は、よどみなくゲームの特徴をほめちぎっていた。あれから3年経ち、彼女は当時ババアと罵った年令になっているはずだった。でも、彼女は間違いなく、彩りとして添えられたコンパニオンの誰よりも輝いていた。まるでステージの主役がゲームではなく、彼女だと錯覚してしまうほどに。

彼女がカリスマコンパニオンと呼ばれていることを、居合わせた先輩に教えてもらった。群がるアマチュアカメラマンの様相もかなりの凄みがあったが、それにはとどまらず彼女のファンサイトが複数あると聞いて思わずうなった。調べてみるとゲームショウだけでなく、東京モーターショウや東京オートサロンでも存在感があるようだった。ファンたちが彼女に会えたと、こぞって文字を躍らせていた。4年前から追ってます!というファンもいた。

彼女がなぜ辞めなかったのか知らないし、彼女が幸せかどうかもわからない。ただ、事実として、自分の周り全てを呪っていた彼女は、仕事を投げ出さず、あの場所に残って輝いている。たくさんのファンが彼女を愛している。

じゃあ、僕は。

締め切りまでに綻んだゲーム仕様のつじつまを合わせるスキルはついた。きわどいバグをクローズする交渉テクニックも身についた。でも、投げ出していないのか。わからなかった。

ただ、彼女を見て、とにかく、やみくもに、ちからいっぱい、自分の好きな、好きだった、ビデオゲームを作りたくなった。新作をいち早くプレイしようと、3時間の行列を作ってまで並ぶファンも、掲示板でボロクソけなすファンも、物言わずひとりで遊んでいる人も、雑誌で眺めるだけで買わない人も、そして、ゲームのすべてがキモいと言った彼女のような人も、みんなみんな愛おしくなった。そうだ、僕が作りたかったのは、みんなのゲームだ。みんなに向けてゲームをつくりたかったんだ。僕にとって、投げ出さないって、そういうことだ。そのことを明確に意識した瞬間だった。


あれからずいぶんたった今も、やっぱり僕は、ビデオゲームを作っている。業界にいるにつれ、いろんなことが見えてきて、いろんなことが終わってるなーとわかってきた。それでも、たいした根拠もなく、これからも、きっと大丈夫だと思えるのは、彼女のおかげかもしれない。いつか、夢だと言っていたアメリカのテレビ番組に彼女が映ったら、ありがとうと、声をかけようと思う。