ゲームにまつわる言説で「アクションゲームは、プレイヤーを動かすだけで気持ちよくないとダメ」ってときどき目にするが、これは言葉が足りてないなーと思う。
学生時代に「マリオはジャンプしてるだけで気持ちいいからすげーよ!」としたり顔で語ってた僕が開発者にまわって思うのは、「といーん」とジャンプした後、「ヒョコッ」とクリボーを潰してこそ、ジャンプの気持ちよさが昇華されてるよな、ってこと。
マリオのジャンプがいかに気持ちよくとも、一日中ジャンプだけしてニヤニヤできる人間はそういない、はず。少なくとも僕は違う。初代スーパーマリオのジャンプのすごさ、ひいてはスーパーマリオのすごさって、容量ギリギリの厳しい制限の中、跳ぶというワンアクションに対して、あらんかぎりのリアクションが用意してあるところだと思う。
ジャンプで踏まれたクリボーは、当時のゲームでは当然のやられかた、すなわち点滅して消えるだけだったり、無数のドットになってはじけたりするのではなく、ちゃんと「潰れて」死ぬし、ノコノコは甲羅になってひっくり返って、蹴ると滑っていくし、小さいマリオでブロックを叩くとぶよんと上に持ち上がるけど、大きいマリオだと粉々に砕ける。硬いやつは動かなくて違う音が鳴る。
つまり、ジャンプのアクションそのものが気持ちいいだけじゃなくて、それに応えるリアクションも同じくらいしっかりと用意してある。すべてが当たり前のように呼応しているので気づきにくいけど、僕は、これが気持ちいい、面白いアクションゲームの本質だと思う。
でも、もちろん、それだけじゃない。
ゲーム全体で、アクションとリアクションの気持ちよさを、全力で強調している。
マリオに登場する敵たちは、向かってくる的に対してジャンプを適切に使うためのテストでもある。距離を測り、Aボタンを押し込み、十字キーとのコンビネーションで生じるアクションの結果、「ヒョコッ」というリアクションが応える。
「俺はやった」と思う。
連続でコインが飛び出るブロックはリズミカルなジャンプとヒットのハーモニーを味あわせてくれるし、届いてみろとそびえ立つゴールのポールは、Bダッシュに続く力一杯のジャンプに、届け届けと念じながら力を込めたAボタンに、応えてくれる。
動かすだけで気持ちいいのは、ゲームの基本であってすべてではない。アクションの目的がきちんと提示され、それを達成した際のリアクションが気持ちよく響いてこそ、ゲームが楽しいと感じるんだと思う。
で、今世代機用ゲームを作っていると、そんなリアクションこそ、気をつけてコストを割り当てるべきだと感じるんだけど、長くなったので次のエントリで。
おまけ:
昔のエントリでコラージュしたマリオジャンプTシャツ。