ゲームグラフィック予言の書

初期のコンピュータゲームの歴史は、意味の記号化の歴史でもあった。ゲームごとに多少の差はあれど、「ドア=入れる記号」であり、火は触ると死ぬものであった。

ゲームは、現実世界とは区別された、すべてが明確に記号化された世界であるのが、ユーザーの共通認識であった。なぜなら、そのグラフィックが、我々が認知している現実世界と比べて、あまりにも制限されたものだったからだ。

80年代、90年代とグラフィックは進化するものの、それほどユーザーに混乱をきたすものはなかったように思う。なぜなら、それらの多くは2Dのゲームであり、プレイヤと同軸にあるもの以外は「背景」であり、ゲームプレイと無関係だと自然に飲み込めたからである。

しかし、いつしか、3D空間を自由に移動できることが当たり前になったことで、いわゆる「背景」と、ゲームに関係する対象の境界が曖昧になった。プレイヤが意識しなければならない対象は、XとYの垂直な平面から、XとYとZの空間に広がり、存在するものすべてが記号的な意味を持つようになった。

さらに、リアルなグラフィックが、安易な記号化を許さなくなった。

リアルな建物には当然ドアがある。しかし、物事は単純ではない。ボタンを押せば開くのか、鍵を手に入れることで開くのか、ぶち破って進入するのか、他のレベルへ移動できるのか、中にアイテムがあるのか、エネミーが湧いてくるのか、そもそもただの「背景」でなんの反応もないのか、私たちは注意深くそのリアルなグラフィックを観察したり、ガチャガチャとボタンを押したりしないといけない。

不幸中の幸いと言えようか、こと「火」に関しては、今日のゲームで見かけてもあまり怯える必要はない。大抵は揺らぐ点光源に対するシェーディングの技術を披露するためにあるだけだから。

閑話休題。ここに、リアル指向の3Dゲームのアートデザインが直面している困難がある。2Dゲームのグラフィックは、現実の具象を抽象化し単一の意味を持つ記号として扱うものであったのに対し、3Dゲームの表現は、現実に近づけば近づくほど、先に挙げたドアの例のように、現実と等しく、それは無限の意味を持つことになる。

しかし、ゲームとして、わかりやすい表現をすると、とたんにその表現はリアリティを失うことになってしまう。「鍵が無いと開かないドア」の発注を受けたアーティストが、ど真ん中に黒々と鍵穴が開いたドアを提出しようものなら、能力を疑われることは間違いないだろう。

また、逆説的ではあるが、リアルなグラフィックは、現実と同じ意味を持たねばなくなる、とも言える。つまり、ディスプレイの中ではちっとも目立たない、たった2メートルの段差ですら、常人には飛び越せてはならないし、火は持ち運んで目に入る全てに着火を試みる(楽しそうだなおい)ことが可能でなければならない。

とは言うものの、ゲームの表現力は、今はまだ、現実と区別できる程度である。非常に複雑化したものの、グラフィックは、現実に比べれば単純な記号であり、意味を特定できる範囲である。見張り塔はロケットランチャーもしくはグレネードで破壊可能で、物理演算で崩れる記号であり、3階建て以上の建築物はこれ以上進めない壁であり(ただしイベント内では派手に倒れる可能性がある)、数年ほど様々なゲームで遊んだ経験があれば容易に解読できる範囲である。

しかし、今後、ゲーム機の能力が上がることで、ここに挙げた矛盾と向き合わなければならない時代が必ずやってくる。

今は、とにかくリアルな表現を目指せば良いかもしれない。でもどこまで?上がり続ける開発コストはどうすればいい?その時、僕らはどうしたら良いのだろう?

恐れなくて良い。すべてのゲーム開発者、ユーザーは安心して欲しい。答えは、すでに古のゲームが教えてくれている。迷える我々に道を示している。今、照らそう、私が、その道を。

鍵はキャラクターデザインにある。

ある意味、コンピュータゲームにおけるキャラクターデザインの歴史は、ゲームデザインの歴史と等しい。古来、ゲームにおいては、キャラクターの外見が、ゲームでできることをすべて表していた。そして今もなお、ゲームがゲームである以上、その本質は生き続けているのである。

1980年にナムコ社が世に問うた『パックマン』は、平面上でドットを「食べる」ゲームであり、操作するキャラクターは口だけの顔であった。当然、ジャンプもできないし、重火器も持てない。しかし、1984年発表の『パックランド』では、「ジャンプ」することができる。なぜなら、彼は足を得たのだ。

嗚呼、そして、2007年発売予定の最新作『パックGUN』は、マシンガンを乱射してモンスターを虐殺するゲームになってしまった。言うまでもない、彼は8頭身になり、より太い手足を手に入れ、表皮が皺だらけだからだ。狙うべきはパワーエサではなく、壁に隠れつつ、同じく8頭身になったアカベエ(追いかけ)をヘッドショットすることだ。まさに「不思議なことが当たり前」である。

お分かりだろうか。

まず、プレイヤキャラから足を無くしてみよう。そうすれば、当然、ジャンプができない。つまり、マップから高さの概念がなくなる。目線より高い部分は作らなくて良いし、プレイヤを進ませたくないところには超絶リアルなレンガを1メートル積んでおけばいい。いやいや、それどころか、足が無かったら歩けないじゃん。いえー。

おおそうだ、念のため手も無くそう。『スイートホーム』に手で移動する人出てきてたし。そうすれば、ドアのグラフィックに悩む心配もないし、火を持つ心配もないし、ユーザーから「道を塞いでる瓦礫の山なんか、ロケランで吹っ飛ばせよ!エネミーがうようよいる道わざわざ通んじゃねーよ!」とか言われる筋合いもないYO!

ま、まだまだ、あ、あるぞ……。プププププレイヤキャラからしししシシ視力を奪うのだ。そうすればぐぐぐグラフィックすらいらないイイイィィィィーーーッ!!!

……失礼。ここまで書けば、もうお分かりのことと思う。

来るべき未来に相応しいゲームとは、現実世界を完璧に再現した、両手両足を持たない主人公を操作する『風のリg