iMacより前に存在したiシリーズ

つい先ほど、Apple社による"iPhone"の発表(http://japanese.engadget.com/2007/01/09/iphone/)もされたことだし、そろそろ僕だけが知る真実*1を話してもいい頃だろう。

"iMac"の開発コードが2番目の"iシリーズ"を意味する"i-002"と呼称されていたことは有名だが、"i-001"が何であるかを知る人間は少ないのではないだろうか。今回は、あまり知られていない「iシリーズ」はじめて物語をお届けしようと思う。


話はApple社の創立者の一人、スティーブ・ジョブズが"AppleII"によって世間で知られる前、彼がATARI社に勤務していた頃までさかのぼる。

若いジョブズは会社に対して、大胆なビジネスプランを提案しようと準備していた。個人向けのコンピュータ、すなわちパーソナルコンピュータによる、新市場への参入である。彼は日常の業務をこなしつつ、勤務時間が終わると近所のカフェでノートを広げ、ひたすら計画を練る毎日を送っていたという。アパートメントで一人暮らしの彼は、自然と外食となる。カフェは、食事をしながらノートを広げられ、少ない自分の時間を有効に使える理想の場所だった。

ここで、ジョブズの障害になったことがある。それは、会社の上司の妨害でも、月に60時間を超える勤務時間でもなく、カフェのウェイトレスの態度の悪さと食事のまずさであった。コーヒーのリフィールを露骨に無視する店員は(たとえ5時間にわたって10回もおかわりを要求したにせよ)たいそう腹が立つ存在だったし、とりわけ、大好物のはずのパンケーキが、ベタベタしたゴムのような代物になって出てくることにジョブズは我慢ならなかった。しかし、近所には他に深夜営業のカフェがなく、彼はしかたなく、ひたすらストレスに耐えながらそのカフェに通ったという。

3ヶ月のカフェ通いの末、ついにジョブズはプレゼンテーションのための資料を書き上げた。しかし、この数日後、上層部は彼のアイデアを否決した。絶望したジョブスはATARIを退社し、しばらく放浪の旅にでる。1970年のことだった。

それでも彼は自分のアイデアに絶対の自信を持っていた。

「世界で一番高性能で、世界で一番美しいコンピュータを創る。」

彼に必要なのは、この困難なミッションを協力して遂行するための仲間と、そして、なにより資金だった。ここで彼が、資金調達のためにひらめいたのが、カフェのチェーン店の経営だった。もちろん、かのスティーブ・ジョブズが考えたのはただのカフェじゃない。彼はカフェでの苦い経験(それはコーヒーによるものではない)をもとに、まったく新しいカフェを考えていた。

「パンケーキがおいしくて、何度でもコーヒーをリフィールできる、そして笑顔がキュートなウェイトレスがそろった世界一のカフェだ!僕のようにカフェで辛い思いをした人が天国に感じるようなカフェにするんだ!世界一美しいカフェだ!」

ジョブズは、夢を実現したこのカフェを"iHop"と名付けた。すなわち、世界で最初の"i"シリーズである。

結果、このカフェのチェーン店は大成功をおさめることになる。さらに、ジョブズは、このカフェで偶然にも少年時代の大親友でコンピュータの天才であったスティーブ・ウォズニアックと再会することになる。すでに彼のカフェの大ファンになっていたウォズニアックは、二つ返事で新しいコンピュータの開発に力を貸すことを承諾したという。

あとは皆さんご存知のように、1976年、Micro-soft 誕生の翌年、ジョブズは、カフェの経営で手に入れた資金をもとにウォズニアックと共にデビュー作となる"AppleII"を作り、翌年の1977年、Apple computer を正式に法人化した。その後、一度はApple社を追われるものの、再び経営に参加し、"iMac"を発表。低迷するApple computer を再びメインストリームに押し上げることになる。

現在、ジョブズは"iHop"の権利を完全に手放しているが、今でもプロモーションで世界各地を訪れる際には、かならずその土地の"iHop"に立ち寄る。なかでも、店員の態度が良く、教育が行き届いた日本の"iHop"は大のお気に入りだったそうで、2000年のiHop撤退をとても悲しんだという。

*1:この記事は、すべて事実に基づいて書かれているわけではありません。