ゲームじゃないゲームのゲームデザインを考える

ここ数年、日本での「どうぶつの森DS」の大ヒットのみならず、アメリカにおいても、「The Sims」シリーズをはじめとした、「俺はこれが嬉しい」とか「自己満足ですが何か?」みたいなゲームが増えてきた。

近い将来を見ても、前述のWill Wrightによる、ゲームプレイヤーが惑星に生息する動物や、都市を創作するというやたらと壮大な「Spore」が話題になっているし、Xbox360ですら「Viva Pinata」というどうぶつの森タイプのゲームが開発されている。 2009年7月7日削除。ぜんぜんそんなゲームじゃない。

こうなった経緯をてけとーにまとめると、ハードの進化によって、美しいグラフィックや物理シミュレートをはじめとした表現力が向上し、スコアやパラメータによるご褒美がなくてもユーザーが満足する経験を提供できるようになった、とでも言えるかと思う。ああ、ある意味FFとかも同じ括りかも。乱暴すぎ?

で、そのような流れがハードの進化によってある程度生まれているとし、またユーザーも新しいタイプの経験を求めているとすると、今後、「おもちゃ」タイプのゲームのリリースは増えることはあっても、すぐに無くなることはないと思われる。前述の「Viva Pinata」のゲームアイデアが、ゲームらしいゲームをガンガンに作ってきたレア社の持ち込みだということも付け加えておく。

僕のまわりでは、Will Wright氏が自ら開発した「Sim City」を指して「おもちゃ」と呼んだのにならって、ゲーム内に絶対的な評価がなく、また明確な目標がない、これらのゲームを、厳密な意味での「ゲーム」と区別することが多い。

他の職場はどうだかわからないが、僕の身の回りでは、「おもちゃ」タイプのゲームのアイデアは、蔑まされることが多かった。なぜかといえば、そのようなゲームはともすれば、ただの素人の妄想で終わってしまうからだ。

「いやー、生物を創造すると、進化して街とか作るんですよー」

「馬鹿か、おめえ」

こんな感じ。しかしながら、これほどの潮流がある以上、ゲームじゃないゲームのゲームデザインを、まじめに考えないわけにもいくまいとも、思う。

ユーザーが個性を発揮できるデザインになっているのは前提として、ここ最近ヒットしたおもちゃ系のゲームで、自分が楽しかった要素を思い出すと、おぼろげながら共通項が浮かんでくる。それは、「他人に褒めてもらえる」という要素。

おもちゃ系のゲームは、ゲームが与える絶対的かつ客観的な評価よりも、自分なりの主観的な評価によって楽しむものだ。しかし、人間は寂しいもの。やはり、ただの自己満足でも、他人に評価してもらったほうが嬉しいし、目標にさえなりうる。例えそれが、「すごいねw」というフキダシだけだとしても。

この要素は、従来型のゲームにも当然あってもよい要素だが、ゲーム内のスコアやパラメータといった客観的な評価が存在するゲームにおいては、他人の主観的な評価というのはそのままでは価値が薄い。ゲームデザイン上、他人の評価がなんらかの得と関係していないと、結局、そのようなコミュニケートは廃れてしまうと思う。

というわけで、「ゲーム内での成果を他人に見てもらい、なんらかのフィードバックが与えられる」という要素が、これからのおもちゃ系ゲームにおいて、僕が欲しいデザイン。その意味でいうと「Spore」なんかは、自分が起こしたアクションに対するフィードバックを、どのように感じられるかが気になるポイントだ。

このデザインの一例として、このまえ体験版が公開された動物撮影ゲーム「Wild Life」に気になる機能が実装されている。一応説明すると、このゲームも古典的なゲームデザインを排除してある*1。つまり、このゲームにはスコアがない。うまいプレイによる見返りもない。自分なりの良い写真を撮って、雑誌に載って、アルバムを整理して、それだけのゲーム。そして、それが嬉しいゲーム。

このゲームにおける、他人に褒められることを促進するデザインで秀逸だと思ったのは、自分のとった写真が掲載された記事がhtmで生成されること。自分のHPに置くのも容易だし、メーカーがアップロード環境を用意して、コメント機能でもつければ完璧かもしれない。

……はっ!「Web2.0とかGame2.0とか知らんもんね。」「コミュニケート大嫌い」とか言ってたのに、いつの間にかそれっぽいことを語っているぅッッ!お・恐ろしい……、これがはてなの魔力か。用心せねば。

*1:内容的なレビューはみやおかさん(id:miyaoka:20060430:1146418042)のところで