それでもゲームデザイナがゲームデザインする理由

経験値の低いゲームデザイナがさんざん悩んで仕様書を作成したものの、ベテランプログラマの一読で、あっというまに破綻を看破されるのは良くあることだ。俺だけど。

というわけで、

に反応している

に反応。

優秀なプログラマと仕事をさせてもらうと、当初のアイデアが、実装されるまでに数段良いものになったり、あろうことか、プログラマのアイデアの方がぜんぜん優れていて、絵も描けなければプログラムもできない自分の存在意義について思い悩む夜がある。

そんなちっぽけな僕を肯定するために、ここでは、どんなに優秀なプログラマと組んだとしても、ゲームデザイナがゲームデザインのリードをとるべきだという理由を述べてみる。

僕が考えるデザイナが本職を全うするべき一番の理由は、発想力が優れているからでは断じてない。ゲームの成り立ちにおいて、デザインのひとつひとつの必然性と、その有機的な結びつき、いわばメタデザインとでも呼べる構造を誰よりも把握している立場にいるからだ、と思う。

僕らデザイナは、ゲーム立ち上げから、多大な時間をかけてゲームに必要な要素を洗い出し、ひとつひとつ精査して、積み重ねてきている。ゲームのコンセプトを実現するために、エネミーの方向性はどうあるべきか。アイテムはどうあるべきか。ステージシーケンスはどうあるべきか。サウンドはどうあるべきか。そしてそれらのデザインは他のどんなデザインと関係し、結びついているのか。

実際のゲームデザインは、そのような熟慮の末に組み上げられたメタデザインの具現である。言い換えれば、実装されるゲームデザインは、メタデザインに比べれば、変更可能なサブ的な要素でしかないし、技術的問題や与えられた時間でいつでも変更の可能性がある。その際に重要なのは、最終的なデザインそのものよりも、そのデザインが必要とされたプロセスと他のデザインとの関係性、つまりメタデザインだ。

アーティストやプログラマが自分の作業をこなしつつ、片手間の時間でそのメタデザインの検討と構築を行うのは不可能である*1。つまり、それを生業とするデザイナが行うべき仕事であると、僕は思うし、メタデザインに精通してはじめて、デザイナの意義がうまれるのだと思う。

例えば、とあるRPGにおいてプログラマがHP回復のアイテムに疑問をもって、デザインの合理化を持ちかけてきたとしよう。どれが正解だろうか。

プログラマ:「このモノメイトっていらなくね?モノフルイドでTP回復できればレスタでHP回復できんだから同じじゃん。」

1:「なるほど、とりあえず試して様子みましょうか」

2:「あ、なるほど。さすがパイセン!サクっとなくしちゃいましょー!」

3:「いや、レスタ使えないキャラもいるんで必要です」

最悪は1。これはいけません。メタデザインさえあれば、どうするべきか必ず提案できるはず*2。あとはどれでもないし、どれも当てはまる。すべてはメタデザインしだい。ブラウザベースのミニマムなゲームだったら、あえて薬草系のアイテムをなくすことで、リソース管理が集中化して良い緊張感を生むかもしれない。クラスや種族間の差を補完するアイテムがあれば、どのキャラを使っても割と等しく楽しめるゲームになるし、なければ協力を促すゲームになる。

理想なのは、誰もがアイデアを提案できて、良いネタがあった場合、メタデザインに精通した者がただちにデザインに落とし込めることだ、と僕は思う。

……とか偉そうに述べてみたが、仕事の分担上、デザイナがその役割を担っているというだけで、だからデザイナが偉いとか、そんなことは微塵も考えていない。むしろ、実装するプログラマの補佐というのが、僕の仕事の実感だったりするわけで。

それよりも問題は、考えに考えを重ねて決定されるべきメタデザインが、「なんとなく」とか「Eかんじで」とかまったくもって安易に決められがちなこの唾棄すべき灰色の現実だ。そんなデザイナは、豆腐の角に頭ぶつけて死ねばいい!あ、ちょっとまって、ぼ・僕に豆腐をもってこないでください!!もっとがんばりますから!!

*1:できる人はスーパープログラマとか天才アーティストとか呼称される

*2:ただし、アクションベースのゲームの場合、この限りではない。理屈を越えた「なんかいい」の積み重ねがゲームをユニークにする。オーブ吸い取りとかバッサリ感となんも関係ないけど、「何かいい」