I’m sorry?

渡米直後は、ぜんぜん英語できないのに、生活のスタートアップのためにあちこち行かないといけなくて、いろいろストレスがたまってた。でもなんか最近、大丈夫になってきた。要するには気の持ちようってやつだ。あとは、英語ができないなりの解決策を見出した。

どこにだってルールがある。それを知らなければ、誰だって戸惑う。外国に限らず、日本でもそうだと思う。コートを脱がせて預かってくれる喫茶店に初めて入った時にはびっくりしたし、1階で食べるとレジで会計すんのに、2階で食べるとテーブルで会計するレストランは今でも意味不明だ。

まあ、アメリカだって同じなわけで。スーパーのレジで、お札は手渡しだけど、小銭だけは手元に自動で吐き出されるのに気づかなかったり、Starbucksで名前を聞かれてびっくりしたりするけど、覚えてしまえばなんてことないわけです。

そういう場面で、相手が言ってることがよくわかんなかったり、自分も言いたいことをうまく言えないのは相当もどかしい。ルールを知らないのと、知らないときに相手が何言ってるのかわかんないので、余計ストレスになるんだと思う。

だが、ルールさえ飲みこめば、所詮おなじ人間なわけで、日本人だろうがアメリカ人だろうが、そんなにふるまいは変わらない。さらに、最近は、言葉の問題をずいぶんと解決しやすくなって、さらに気が楽になってきた。別に英語がすごくできるようになったわけではない。僕の英語能力は、おそらく日本語版おばけのQ太郎のドロンパくらいだと思う。がんばってしゃべってみても、

"I'm sorry?"

みたく、ちょっと困った顔をされて聞き返されてしまうことが多い。 でもですね、ある日、ばーっとわけわからないことを言われた時に、とっさにいつも自分が言われている、

"I'm sorry?"

をちょっと小首を傾げて、言ってみたわけです。そうしたら、あなた、びっくりするくらいカンタンな言葉で言い直してくれるじゃないですか。スーパーのレジで、

"□□□ □□□ transportation □□□ □□ short of □□□"

って言われて、え?輸送?短い?ぜんぜんわかんなくても、

"I'm sorry?"

といえば、

"We have no plastic bag today."(フクロないんだよね。)

とか、最初からそう言えよと思うくらいわかりやすく言ってくれる。ジェスチャーもつけてくれたりする。カリフォルニアの西海岸には、たくさんの英語を母国語としない人がいて、最初はまあ普通に話してみるけど、こっちが「全然わからない」って伝えれば、それにあわせて話をすることにみんな慣れてる。たぶんそんなかんじ。白人とか、ぜったい易しく言わない人も一部いますけどね。

というわけで、そうやって、ソーリーソーリー言って生活圏のルールをだいぶ覚えてきたので、ずいぶん生活が気楽になってきた。しらないルールは覚えるまでだ。

さあ、Let's ソーリー!街へ飛びだそう!

しかし、この方法はあくまでも表情に、「僕、英語ぜんぜんわかんないんですよね」というニュアンスを加えるのを忘れてはいけない。

最近、スターバックスで、"Chantico"という新製品を注文したときに、やはり、ベラベラと話しかけられてしまった。ほんとにぜんぜんわかんなかったのだが、調子に乗ってちょっと流暢かつ余裕な感じで、

"I'm sorry?"

をいつものように使ったら、真剣な顔で、けっこう長い上に、知らない単語だらけの小難しいフレーズを正確にもう一度繰り返されてしまった。どうやら、僕の余裕しゃくしゃくの聞き方は、「あ、ごめん聞いてなかった、もう一回?」と受けとられたらしい。2回聞いても、やっぱり全然わかんない。しかも、

"Are you sure ?"(本当にいいの?)

とか問い詰められてどうしようかと思った。しょうがないので、ちょっと照れながら、もう一度きいたら、

"I do not recommend Chantico."(シャンティーコ、おいしくないよ。)

だって。あの長いセンテンスはどこいったんだ。というか、すすめられないものを売らないでください。